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なぜ勉強しなければいけないのか?【割と勉強した大人の立場から言えること】

    親から「勉強しなさい」と言われて鬱陶しく感じている10代の方は少なくないのではないでしょうか。「なぜ勉強しなければいけないのか?」、誰しも一度は考えたことのある大きなテーマの問いだと思います。

    少し前のことになりますが、退職してからシュレディンガー方程式をどうしても理解したくて勉強していて、私のシュレディンガー方程式の説明の記事に辿り着いたという60代の方から丁寧なメールをいただきました。シュレディンガー方程式って勉強しても、キャリアアップや実益になるわけじゃない、でも勉強したい、そんな不可解な数式です。

    筆者は公立の進学校から京都大学に入り、青春時代もまあほどほどに、それなりに勉強して受験戦争も経験しました。卒業と同時にイギリスに渡り英語もあまりわからないまま何とか23歳で修士号を取った後、もう勉強したくないと社会に出たつもりだったのに、30代後半になってまた博士課程に戻って今も勉強する日々です。気づけば、自分の子供に「勉強させる」立場にもなっていました。

    勉強する理由についてはさまざまな観点があると思いますが、この記事では、なぜ勉強しなければいけないのか、なぜ勉強しなさいと言われるのか、割と勉強してきた大人の立場から(笑)少し書いてみたいと思います。

    なぜ勉強しなければいけない?

    いい大学に行って、いい会社に就職するため?

    昔からよく言われるのが、「いい大学に行って、いい会社に就職するため」に勉強しなさいというものです。日本の社会では、学歴が就職やキャリアに大きな影響を与えることが多いため、学歴を高めるために勉強に力を入れる人が多いのです。将来のキャリア形成を考えた際、多くの人が良い学校に進学し、その後に良い会社に就職することを目指して勉強します。企業の方が学歴を一つの指標としてその人の能力や努力を測ること多いのも事実です。

    実際、京大時代の友人の中には、一流と呼ばれる企業に就職し、現在までにそれなりの地位を築いた人もいます。確かに安定した暮らしは保証されているようですが、アラフォーになって思うのは、あんまり幸せそうじゃない人もいるという事実です。

    青春時代を犠牲にして受験勉強して、大学時代に頑張って就活して、入社して必死に働いて、キャリアアップのためにまた勉強して、中堅社員になっても幸せじゃなかったら、一体いつ幸せになれるんでしょう?と筆者は思ってしまいます。経済的な安定というのが優先順位の一番上にある人は、それでももちろん良いかもしれませんけどね。

    教養を身につけると人生が豊かになる?

    筆者は漢学者の父からよく「教養を身につけると人生が豊かになる」と聞かされて育ちました。そしてそれを素直に信じてもいました。子供心に、周りの友達が「なんで勉強しなければいけないの?」と口にすると、「勉強しなければいけない理由すらわからないから勉強するんだよ」と偉そうに心の中で呟いたものでした。正直、なぜ勉強しなければいけないのか、それは私の子供時代の疑問ではなかったのです。

    教養とは、知識を深め、人間としての理解を広げることです。例えば、歴史を学ぶことで過去の出来事から現在を理解し、未来を予測する力を養うことができます。また、文学や哲学を学ぶことで、異なる視点から物事を考える柔軟性が育まれ、人生のさまざまな状況や問題に対する洞察が深まります。このような教養が、日常生活をより豊かで充実したものにする助けとなるのも事実です。

    でも同時に、世界はそんなに優雅な場所でもないという現実も見てきました。夏目漱石がこういった、ニーチェがこういった、そんな教養が周りにいる誰にも響くわけではないということです。それより私はビートルズやクイーンの歌詞の意味をもっと「勉強して」知っておけばよかったと思いましたし、父から禁止されていた漫画ももっと読んで見識を広げておっけばよかったと思うことがありました。

    必要な知識は誰と関わりあうかによっても大きく左右されます。そういった意味で、人生で興味を持った全てが「勉強の対象」でもあると筆者は考えています。化学式を100個覚えるのと、ポケモンのキャラクター100個覚えることは、認知科学の観点から言えば同等です。ただそれが学校教育のカリキュラムに入っているかどうかの違いだけなのです。

    考える力を養うため?

    最近ソーシャルメディアのポストで上がってきたのが、ドラマ「男はつらいよ」の主人公寅さんの考える「大学に行く理由」です。勉強する理由について、寅さんは次のように語っています。

    生きていくうえで、人はいろんなことにぶつかる。
    そんなとき、オレのように勉強していないヤツは、その時の気分で決めるしかない。
    でも、勉強した人間は、自分の頭で筋道を立てて、どうしたらいいかを考えることができる。
    だから、みんな大学に行く。

    ドラマ「男はつらいよ」

    「人生の困難に直面した時、それを打開するための思考力を養うために勉強する」それが寅さんの見解です。でも大学に行った者として正直いうと、これもちょっとなんか違うような気がしています。

    世間知らずで田舎育ちの一人っ子、籠入り娘として育った筆者は、世間知らずなりに18歳頃から海外に出て色々な活動をはじめました。イギリスの高い物価で生活費を捻出するために、東ヨーロッパからの出稼ぎ労働者たちに混じってホテルでアルバイトをしていたこともあります。リーマンショックで働いていたF1チームが撤退し、フリーランスとして軌道に乗った後もコロナで半年ほど全く仕事が来ないということもありました。

    筆者がそんな困難を打開するための思考力、それは大学で「勉強」して学んだものでは全くなかったのです。試行錯誤を繰り返し、失敗から学び、挫けそうになる心を抑えてまた挑戦する。ただその繰り返しでしかありません。それはある意味、大学受験をするという過程から学び、異国の地で目標を達成するという経験を通して勝ち得てきた者ではあったかもしれません。でも大学にいったからそういう思考力で打開できる思うのは、かなり甘いかもしれませんね。

    知性と教養はブランドだから?

    現役受験生の頃に、大手予備校の夏期講習を何度か受けに行ったことがあります。そこの先生に、

    東大とシャネルは同等のブランドである

    某予備校講師

    と言われたことがあります。人が何に価値を見出すかは、本当にさまざまな理由がありますが、これはある程度真理をついていると思います。シャネルのバッグを持っているとおしゃれだとみなされることがあるのと同様に、東大出身だというと頭がいいとみなされることがあるというわけですね。

    寅さんではないですが、海外でフリーランスというフラフラした立場にあって、京大出身、Imperial College出身というのは、そのブランド力に助けられることが実際あります。資格と同じようなもので、そういうブランドのバックアップがあると、仕事を受ける際への信頼度がアップする、なんてこともあります。

    そういう意味では、そのブランドを手に入れるために勉強するというのは一つの理由になりうるかもしれません。シャネルはお金を積めば変えますが、学歴は勉強しないと手に入らないわけですからね。

    勉強しなければいけない本当の理由

    何もしないと退屈で死んでしまいそうになるから

    最近筆者が思うのは、人が勉強しなければいけない究極的な理由は「何もしないと退屈して死んでしまいそうになるから」ではないかということです。あなたは本当に、何にもしないで、何の向上もしないで、人生を過ごすことができますか?筆者はできません!多分そんな状況に置かれたら発狂してしまいます。

    ただ生きていくのに最低限の食物を食べて、空気を吸って存在しているだけなら、牢獄の独房に置かれていたって同じ人生ということです。牢獄の独房に入れられたら、せめて本でも読みたいと思うでしょう。それって勉強したいという気持ちが心の底から湧き出してきているということなのだと思います。

    筆者の娘は、赤ちゃん時、おむつが濡れても眠くても泣かないのに、退屈すると大泣きをしていました。母親学校では、赤ちゃんはお腹が空いた、おむつが濡れて気持ち悪い、疲れた、安心感が欲しいというときに泣いて知らせるのだと聞いていたのですが、何よりも娘が不快を訴えていたのは「退屈」でした。人間って、つくづく面倒な生き物だなと思います(笑)。

    人間は基本的に好奇心が強く、新しいことを学ぶことによってその好奇心を満たそうとします。学びのプロセスそのものが、私たちに刺激と充実感、そして生きているという感覚を与えてくれます。

    人生は暇つぶしだ

    という人もいます。なんの理由も目的もなくとにかく与えられた時間と身体、それを経済活動というルールの中でどう使うか。それは私たちの自由な選択に任されています。教科書に書かれていないことでもいい、とにかく好奇心に任せて新しいことを知る、それが勉強であり、それをせずに生きていくことができないのが人間のさがなのかもしれません。

    本当に勉強しなければいけない時に勉強しやすくするため

    筆者の専門の一つである認知科学の観点からすると、「勉強」あるいは「学ぶ」という行為は、新しい視覚情報、聴覚情報などの刺激を受けて、それを脳内で整理し、すでに持っている知識、すでに頭脳に保存されている情報と統合させて記憶するという現象であるとされています。ということは、すでに持っている知識や保存されている情報が多い方が、新しい情報を処理しやすいということになります。

    勉強することに追われている10代の人にはイマイチ実感が湧かないかもしれませんが、社会人になったら、もっと自分の頭が良かったらいいのに!とかもっとそのことを知っておけば良かった!と思う瞬間がたくさんあります。それは資格試験なの時だけではなく、プレゼンの質疑応答であったり、接待の飲みの席であったりすることもあります。

    筆者は映像取材者として、科学者からスポーツ選手までさまざまな取材に関わってきました。その中で自分の知らないことを一夜漬けで勉強しなければいけないことも多々ありました。たくさんの知識不足の状態での取材もありましたが、少なくとも効率の良い勉強の仕方を知っていることには助けられたと思います。

    そしてもう一つ、どんな知識がいつ役に立つかは、わからないということです。それは3年後に気づくかもしれませんし、20年後に役に立つ時がやってくるかもしれません。ですから、とにかく今は勉強しておいて損はないと断言しておきます。

    自己満足を得るため

    勉強するという行為は究極的に自己満足なのかもしれません。イギリスの自治体が取材している小さい子供を持つ親を対象にした育児セミナーに参加したときに、健康であるためにすべきことの一つとして、栄養バランスの取れた食事をすることや、適度な身体運動をすることに加えて、「何かを学びつづけること」というのが挙げられていたのに驚きました。勉強は食事や運動と同じレベルで、人間にとって不可欠なものだというのです!

    新しいスキルを習得したり、難しい問題を解決できた時の達成感は、自己肯定感を高め、自信につながります。何かを学び、それを理解することで得られる満足感や、知識が増えたと感じる充実感は、非常に個人的な喜びです。勉強は、他者からの評価や外部の成果に左右されることなく、自分自身のために行う行為でもあります。だからこそ内的な幸福感に貢献すると考えることもできます。

    筆者もそのちょっとした自己満足感が好きで、アラフォーなのに大学に戻りました。その学位をとらなければ就職できるというものでも、その学位を取ったから昇給が期待できるというものでもありません。何かもっと良い自分になりたい、そんな思いで勉強しています。そしてそれは、小さな子供を抱えて睡眠もとれず毎日体力の限界まで走り回る中でも、精神的な支えとなってくれているものです。

    社会と繋がっているため

    上記の食事や運動と同じレベルで勉強が語られるのには、もう一つの理由があります。勉強は自分を向上させ満足感をもたらすだけではなく、勉強を通じて社会との繋がりを感じることができるという側面があるからです。どれほどインターネット上に良い教材が溢れても、子供たちが学校に行くのは社会との繋がりを学ぶためです。そして社会との繋がりもまた、人間が幸せになるために欠かせない要素であるからです。

    さらに、何か特定のものを深く学び知ることで、同じような興味を持っている人々との会話が深まり、共通の話題を持つことができます。こうした繋がりは、個人の視野を広げ、社会に貢献するとは言わないまでも、この世界と繋がっている、自分の居場所があるという感覚に繋がっていきます。そしてそれは、人生を生きていく中で絶対に必要な感覚でもあります。

    まとめ

    つらつらと書いてみましたが、みなさんそれぞれに勉強する理由はさまざまかもしれません。でもなぜ勉強するのだろう、どうして勉強しなくてはいけないのだろうと疑問に思っている人がいるのなら、上記のような観点から自分に当てはまるものはなんだろうと考えてみていただければと思います。

    認知科学や心理学の観点からいうとは、勉強というのは楽しいという感覚や、人とのつながりによってその成果が上がることが知られています。ですから、ストイックになりすぎず、一人で思い詰めすぎずに勉強することも大切ですよ。