30代後半でPhD取得を決意した理由

30代後半でPhD取得

30代後半でPhD(博士号)取得を目指すというのは、真っ当な日本社会人の感覚からすればとんでもないことかもしれません。普通であれば22歳で学部を卒業し、24歳で修士号取得し、そのまま博士課程に進むというのが、標準的なアカデミックキャリアだと思うでしょう。

私は現在37歳です。22歳で京都大学を卒業し、23歳で英国Imperial College Londonの修士号を取得しました。でも当時の私には、そのままアカデミックキャリアを続けるという選択肢は考えられませんでした。学術界で研究を続けたいという思いよりも、社会に出て外の世界を見てみたいという好奇心の方が断然強かったからです。

そんな私が37歳になった今、奨学金をもらって科学教育テクノロジーの分野でPhD取得を目指すことになりました。この記事では、この年齢になってイギリスの博士課程に応募することを決意した経緯、そして実際に奨学金付きの合格をもらうまでの過程について、お話ししていきたいと思います。

30代後半でPhD取得を決意した理由

やりたいことに年齢は関係ない

日本に住んでいた頃は、若いことに価値があるような気がしていました。若ければさまざまな可能性が開かれているのは確かです。特に、大学に進学し、3年生で就職活動をし、卒業と同時に就職した会社で昇進を重ねていくのが安定したキャリア構築だという考えがまだ根強く残る日本では、大学卒業のタイミングで将来の方向性を決めるのが常識なのかもしれません。

でも、当時の私には本当にやりたいことについてのビジョンが明確にはありませんでした。学部で専攻していた20世紀の科学史への興味がまだあったこと、そして何よりヨーロッパに住んでみたいことを理由に、イギリスの大学院に応募し、京都大学卒業後すぐにイギリスに渡りました。そのまま成り行きに任せて現れるチャンスに身を任せて、F1チームのスポンサーシップエージェントから、バイリンガルMC、テレビ番組制作まで様々な仕事をしてきました。

ヨーロッパで暮らしたいという夢は叶えましたし、ヨーロッパだけでなく中東やロシア、南アメリカまで世界中の現場を旅し、人と出逢いながら仕事をするという素晴らしい経験を得た自分のキャリアに後悔があるわけではありません。でも本当に自分がやりたいこと、自分が全力をかけてやるべき仕事ということへの気づきは、これまでのキャリアの中にはありませんでした。

30代になって、自分の行き詰まりを感じていた私の救いは、キャリアチェンジは「いくつになっても遅いことはない」というロンドンの社会人コミュニティの風潮でした。私はキャリアアップのワークショップなどに時々参加していますが、そこで多様なキャリアチェンジを遂げた人たちに出会いました。

大学の哲学の講師からプログラマーになった人、会計士からフィンテクのコンサルタントになった人など、自分の持つスキルセットを踏み台に、異なる分野で次のステップに進む30代をたくさん見てきました。ある人が、人生100年であることを考えればその長いキャリアの中で何度かの方向転換をするのは当然であると言っていましたが、自分の武器となるスキルさえあれば、それを軸にいくつになっても何度でも新しいことに取り組むことが可能であると私は信じています。

キャリアを積んだ後に大学に戻る同世代の友人たち

私の周りには、複数の高等教育学位を持つ友人がたくさんいます。MBAや修士号を1つ持っているのは当たり前、ダブルマスターやPhDを取得している人も少なからずいます。面白いのは、そのほとんどがストレートなアカデミックキャリアを歩んできたわけではない点です。

大学卒業後、あるいは修士号取得後、就職し、ある程度のキャリアを積んだ人たちが、キャリアアップに必要なトレーニングとして大学に戻って勉強し、そしてまたその新たなスキルを活かした仕事へと戻っているのです。国を跨いで複数の学位を持っている人も多くいます。

そんな友人たちに囲まれていると、一度仕事を離れて学業に戻るということが、それほど特別なことではない気がします。大学進学から、修士課程、博士課程とストレートに進むことが全てではないということがわかると思います。そして一度大学を離れて社会に出てキャリアを積むことで、大学で学びたいこと、研究したいことがより明確になるというメリットが、寧ろそこにあると言えると思います。

ジェネラリストとしての限界

私はトップギアなど世界的な人気テレビ番組に出演しているタレントを抱えるイギリスのタレントエージェンシーに所属していたことがあります。イギリスのプレゼンターは、顔が可愛いとか、スタイルが良いということはあまり問われることなく、何について語れるか、魅力的な人生を歩んできた人か、ということが重視されます。

私の歩んできたこれまでのキャリアに興味を持ってくれたエージェントと何度かミーティングを重ねて事務所に所属するところまでは漕ぎ着けたものの、1年ほど経った頃エージェントに厳しい現実を突きつけられました。「いろんな売り込みをかけてみたけれど、あなたはイギリスに暮らす日本人の一人でしかない」と言われたのです。

彼女のいう通り、科学史を選考したあとテレビ業界でスポーツ取材をしてきた日本人に、業界での市場性がないことは理解に難くありませんでした。与えられるチャンスに任せて仕事をしてきた私の履歴書は、とてもランダムに見えると思います。

そしてそのエージェントの一言は、私の人生の全てを物語っていました。日本の総合大学を出て、海外の学位を取り、世界を飛び回りながら、世界の有名人にも出会い、それなりのお金も稼いできたつもりでした。でも、究極のジェネラリストである私にはこれが私の専門だと呼べるものが何もなかったのです。

それから4年ほど、私は自分の強みとは、自分の才能とは何かを真剣に考え続けていました。すでに30代に突入し、キャリアを0からやり直すことのできる年齢ではなく、キャリアチェンジを模索しても、ほとんどのアイディアは行き詰まってしまうものばかりでした。

前述の通り、いくつになっても方向転換は可能である一方で、全く知らない分野に手をつけても、若く発展の時間的余地がより多くある人たちには敵わないという現実もあります。だからこそ、「自分の武器になるもの」という軸が必要だということに私は気づいたのです。

自分とは誰か?

コロナ禍で、今まで苦労もせずにいただいてきたフリーランスの仕事が途絶えた時、私は初めて自分に真っ正直になって、自分が好きなもの、理由はよく分からなくてもなぜかこだわりがあるものを箇条書きで書き出してみました。私のリストに上がってきた主なキーワードは以下のようなものです。

  • 科学(特に物理)
  • 映像
  • わかりやすい説明
  • 学習
  • コミュニケーション
  • ミニマリズム

せっかく新しいキャリアを築く努力をするのですから、本能的に好きなもの出なければいけないという前提がありました。そうでなければ続けられないという思いもありましたし、好きなものであれば下手な努力をしなくても人より秀でるチャンスがあるからです。

このリストにあるものを組み合わせて何ができるか、私は頭を捻りました。科学プロデューサーを目指す、本格的な言語コーチになる、など色々なアイディアが浮かびましたが、どれもいまいち自分のアイデンティティにしっくりと来ませんでした。

30代を超えキャリアチェンジをするわけですから、好きなものというだけでは通用しない側面も多くあります。前述の通り、すでに持っているスキルや専門性を土台にしないで進むことはできないでしょうし、最終的にはお金を稼がなければならないわけですから、市場性や時代にあっているかどうかも重要です。そしてこの模索の中で、私はもう一つ大切な要素に私は気づくことになります。

どんな世界を作りたいか?

自己実現という考え方で自分探しをするのは、もちろん間違っていないと思います。もちろんそこがスタート地点になるでしょう。でも、30代後半というこの年齢になって思ったのは、他の人に何かを与える、あるいは後世に何かを残せる仕事をしたいということです。

周りのヨーロッパ人のミレニアル世代の子たちが、どんな世界を作りたいかという理想を明確に持っていることに、私は引け目を感じていました。それこそ世界を飛び回りながらメディアの仕事をするという、彼らが羨ましがるような20代を私は送ってきたのかもしれませんが、そこには私の描く世界像というものの形はありませんでした。

私は自分の好きなものやこだわりの点を繋ぎ合わせる作業の中で、私は未来の教育像という一つの世界観が出来上がっていくのを感じ始めました。なぜ教科書を一読しただけで、私たちはカリキュラムの中身をすぐにわかるようにならないのか?なぜ新たな知識を習得することが、これほどの苦労を要するのか?そんな疑問は、以前量子力学についてのドキュメンタリー番組制作に関わった時に、さまざまな図を描いて説明しようとした私の努力に端を発します。

そしてそれは、「視聴したりインタラクトしたりするだけで、複雑な概念もすぐにわかるようになる新しい認識教育メディアコンテンツを開発したい」ということに収束していきます。テレビ業界で働いてきたキャリアが、メディア研究への興味へと変わり、その時連絡を取った専門家から教育分野への視点を与えられ、さらにはマルチメディアのSTEM教育の論文へと続き、最終的に教育テクノロジー分野での研究機会へとたどり着いたのです。

年齢に関係なく博士課程に合格する方法

年齢で奨学金を配当しない海外の大学

先日、子育てをしながら40代で医学部に通い、50代で医師になった女性、前島貴子さんの記事を拝見しました。こんな意欲的で努力家の人がいるんだと感銘を受けたと同時に、その記事に寄せられた現実的な意見に思わず苦笑もしました。それはどんな指摘かというと、「経済的な余裕がなければできない」「旦那さんの金銭的な援助があってのこと」というものです。

いくつになっても夢を叶えることができる、というのはある意味理想論なのかもしれません。30代、40代で学生に戻るという選択には、大きな経済的負担が付き纏います。どれほど学びたいことがあっても、経済的な理由でできない、踏み切れないという人も多くいるでしょう。私自身も例外でなく、その一人でした。

PhDを取得したいという漠然とした思いはあったものの、最低でも3年間という経済的なコミットメントはかなりの負担です。その間雇用収入が限られると同時に、学費、生活費、さらには住宅ローンの支払いから、子供の養育費まで、20代の時にはなかった負担を考慮しなければいけません。

私が博士課程進学にあたって本当に幸運だったと思うのは、奨学金を獲得することができたことです。PhDプログラムへの応募の際、日本の奨学金制度についても調べてみましたが、年齢制限を35歳としているものがほとんどで、私は年齢だけで除外されてしまいました。(これもまた、日本で若いことに価値があることの象徴ですが、私はぜひ年齢制限を設けている根拠が知りたいです。)

その点、海外の大学院には理由なき奨学金の年齢制限はほとんどありません。少なくとも私が応募したものには一歳年齢への言及はありませんでした。そして寧ろ、面接過程で、これまで積んできた実務キャリアを踏まえた研究への視点が評価されたからこそ、学部で唯一の奨学生になることができたと思っています。

必要なのは明確なビジョンと社会的影響力

私が博士課程への応募に際して掲げた「認識論的に人間の脳が理解しやすい科学コンテンツを開発する」という目標は、メディア業界での実務経験なしにはあり得ませんでした。量子力学の番組を作る際の図解で苦労した経験をもとに、モックアップの3D映像モデルを作って面接に臨みました。

それは、現場での問題を指摘し、そこから実践的な問題解決方法を面接官に提示できただけでなく、ソフトウェアを使うことができるというアピール、さらにはPhD取得後の進路についての自分の明確なビジョンを示すということに繋がりました。そしてそこに一貫性があることについても評価を得ることができたのです。

そしてもう一つ、ヨーロッパでの奨学金応募のポイントになるのが、研究の社会的影響力です。誰かの生活を何らかの形で改善することができるというインパクトがあるのとないのでは、大きくその研究の意義が異なると考えられています。自己満足では研究資金は得られませんが、社会的インパクトがあれば、博士課程の奨学金を得やすくなるのです。

コロナ禍で行われたPhDの面接で、私はパンデミック下で重要性が浮き彫りになったバーチャル教育のマテリアルにフォーカスを当てました。元々はテレビなどのマスメディアコンテンツの開発を着想とした研究だったわけですが、その未来的な学校利用の可能性についての論理を展開したのです。

合格を勝ち取るパブリックスピーキング力

もう一つ、博士課程への進学を可能にしてくれたスキルとして、海外のメディア業界で培ってきたパブリックスピーキング力があると思います。私はこれまでテレビ番組のために有名人の英語のインタビューをしたり、自分自身がBBCのラジオなどで喋ったりという経験をしてきました。生のテレビやラジオで喋ることに比べれば、3人の面接官に対して喋ることはまだ気が楽です。

面接では時として、知らない分野や明確な答えを持ち合わせていないことをテーマに喋ることも求められます。日本人にとって、思考をめぐらせ、意見をまとめながら、英語で発話していくことは、難しいスキルの一つかもしれません。そういった意味で、テレビやラジオ、MCの仕事で培ってきたパブリックスピーキング力が、私を救ってくれたことは否めないと思います。

さらに、面接では否定的意見への対応も求められるでしょう。私の面接では、面接官の一人が非常に厳しい質問を投げかけてきました。私が研究提案(Research Proposal)の中で採用した方法論(methodology)の一つに対して、「これは通用しないという論文が1つ以上あるが、どうするつもりか?」と問いかけてきたのです。

もちろん、私はまだこの分野の専門家ではないため、他の方法論を提案できるような知識は持ち合わせていませんでした。またその教授に対抗して出ることが得策でないこともすぐに察しました。そこで私は、「私が読んだこの論文にはこの方法論がこのように使われていて有効だと書かれていました。でももしそれで通用しないというデータがあるのであれば、先生はその代わりにどのような方法論を提案しますか?」と疑問系で返したのです。

これはその面接官からの更なる研究提案批判に繋がらなかっただけでなく、合格をもらった直後から、その教授が私の研究に関する方法論に関する資料を見つけるたびに連絡が来るなど、ポジティブな関係を築くことに繋がりました。パブリックスピーキングでは、謙虚になって弱みを見せることも大切なのだと思います。そしてそれは30代になって引き際を知ったからこそできたことでもあるのかもしれません。

自分の弱点を明確に知ること

PhDプログラムに応募する理由は、自分がすでに知っていることを深めたいということと同時に、新しいスキルを身につけたいということがあるはずです。よって応募時に、その研究をするのに必要なスキルが全て揃っている必要はないと思います。

物理学の認識教育コンテンツの発展を目指す私が、自分の提案した研究に必要だと特定した分野は3つありました。

  1. 対象となる科学的概念そのものの理解
  2. 抽象的な概念を視覚化するためのメディアテクノロジーの知識
  3. コンテンツの効率性を評価する方法論

1については、京大で先行した科学史、そしてインペリアルカレッジで先行した科学テクノロジー研究の時に学んできました。2については15年に渡るメディアキャリアの中で、コンテンツ制作の技術を身につけてきました。

その一方でソーシャルスタディの経験がない私に一番欠落していると思っていたのは、評価やデータ分析に必要な方法論です。案の定、面接の中でもそのことは話題に上がりました。率直にソーシャルスタディの経験について聞かれたのです。私は正直に自らの弱点を挙げ、それについて自分なりに穴を埋める計画があることを話しました。

このことは、自分で挙げた弱点が面接に負の効果を及ぼさなかっただけでなく、合格直後、実際に博士課程が始まる4ヶ月前の今から、受け入れ大学の教官たちが私自身が足りないと判断したエリアのワークショップに招待してくれ始めたことです。

これからやろうとしている研究に十分でない弱点があることは博士課程の応募に不利になるとは思いません。問題は弱点を知らないこと、どんなトレーニングが自分に必要なのかを把握できていないことです。すでに全てのスキルセットが揃っているなら、PhDをやるまでもないでしょう。弱点を隠すよりも、博士課程に入ってからの計画を明確化することの方が大切な作業だと私は考えています。

30代後半でPhDに挑戦する価値はある

もし、この記事を読んでいるあなたが、PhD取得を考えているのであれば、年齢のせいや経済的な状況のせいにせず、ぜひ挑戦していただきたいと思います。

私自身、これから研究に専念するにあたって、たくさんの課題を抱えています。最大の問題は現在妊娠中であることであり、また奨学金をもらえるとは言っても、この年齢のキャリアで稼いできたお給料からは程遠い金額でしばらくやりくりして行かなければならないことです。

それでも、博士課程在籍中に身につけたいスキルを明確にすることで、この挑戦を終えた後には確かなキャリアアップのチャンスがあると信じています。同じような立場にいる皆さん、ぜひ一緒に頑張りましょう!